私は幸いにして、社会の第一線で活躍され、様々な分野で事を成し遂げた人、成功を収めた人たちとお会いする機会が数多くあります。その中で強く感じるのが、どの方も謙虚で、どんなことが起きても自分のこととして捉える姿勢を貫かれていること。まわりが悪いとは、絶対におっしゃらないのです。
人は、物事がうまくいかないとき、どうしても他人を責めて、自分を守ろうとしてしまいます。果たしてそれで何かが変わるでしょうか。私はそうは思いません。よく子どもの愚痴をこぼす親がいますが、ではその子は誰が育てたのでしょう。自らの心に手を当てて、自分に改めるところはないか自問自答する。そうした姿勢が人生を切り開いていく上で大切であり、大きな分岐点になっていくのではないでしょうか。
私は今、世の中の青年たちにそうした捉え方をしてもらいたいと、切に願っています。SNSや動画サイトでは、相手に鋭い言葉をぶつけて言い負かすような動画が若者に人気です。確かに留飲を下げる面もあるかもしれませんが、「他人の不幸は蜜の味」。他人が言われているのを面白がっているとしか思えないのです。
もし、その言葉が自分に向けられたとしたら、おそらく受け入れることはできないでしょう。身の回りのことを我が身に置き換えられない。自らの力で人生を切り開いていけない青年が増えていることは、これからの日本にとって、私は大きな問題だと思います。
そんな青年たちを、次代を担う存在へと引っ張りあげていくために、時に支え、時に励ましていくのが、私たち大人の役割です。そのために大切なことは、良いものは良い、悪いものは悪いと、是々非々を明確に青年に示すことです。
私と同世代の人たちを見ていると、青年から好かれる、すなわち青年から見て都合の良い「いいおじさん・いいおばさん」になりたがる人が多いように思います。でもそれでは青年の未来に蓋をすることにつながり兼ねません。物事の黒白をつけたがらない昨今の青年に対し、たとえ嫌われても、言うべきことはハッキリと言う。そんな大人に我々自身がなっていくことが青年自身の決断する力を育み、ひいては後悔しない人生へと青年を導くカギとなるのです。
そうした関わりを築き、青年たちと真摯に向き合っていくことが、私たちの世代ができる〝おせっかい〟です。私は、最期まで「おせっかいおじさん」でいたい。人生の先輩として、青年の背中を押せる自分たちに共になっていきましょう。