霊友会青年部のあゆみ
霊友会青年部の誕生
昭和28年、国友婦人会の活動が認められた霊友会初代会長・小谷喜美恩師は、日本赤十字社の親善大使として、欧米各国の福祉施設を視察。
英国赤十字社のバーク顧問と会談する機会を得ました。
「人は困ったときに、お互いに心から助け合う気持ちが大切だ。広く社会に同情の念を向けなければならない」
というバーク顧問の話に心を打たれた小谷恩師は次のように語っています。
「欧米では、子どもたちにも小さい頃から社会奉仕の精神を教え込んでいる。
今の我が国との違いはそこにある。日本人には社会への眼差しや思いやりが欠けている。
しかし、法華経の大乗の精神に目覚め菩提心をもって社会全体に大きく目を開けば
必ずや社会奉仕の精神は生かされる」
欧米各国の福祉施設視察から帰国した小谷恩師は
「次代を担う青少年の育成こそ、霊友会が国家・社会に果たすべき大きな役割である」
と言明。昭和29年、霊友会青年部を創設しました。
ヒロポン撲滅運動などさまざまな社会奉仕活動を展開
当時は人心が荒廃し、社会も混迷していた戦後の混乱期。
ヒロポンなどの覚醒剤が青少年の心身を蝕んでいました。
そんな状況の中で、霊友会青年部は「ヒロポン撲滅運動」に取り組みました。
ヒロポンは覚醒剤の一種、一度打つとやめられなくなりやがて心も体も壊れていきます。
霊友会が制作したヒロポン撲滅キャンペーン映画「悪魔の罠」の台本に、こうあります。
手から手へ……、腕から腕へ。破れた心の隙間から肉体の中枢部へ,ひそかに食い込んでいく、この怪物の触手。
その手に掴まれて向上心も明日への幸福の希望も全て奪い去られ、新しい美しい未来を踏み躙り、渦巻きの底深く引き込まれていった人々が何十万人いることでしょうか?
「青少年の心身を蝕むヒロポンを簿滅しよう」。
全国各地の青年が立ち上がりました。
青年部の手で、体育館や学校の校庭に銀幕を張り昭和30年から31年にかけて、連日のごとく「悪魔の罠」を上映しました。
霊友会青年部の社会奉仕活動は、これだけではありません。
社会委員会を設置し、福祉施設の慰問、朗読奉仕、点字……できることから着実にはじめました。
また、昭和34年から38年にかけて、北海道、東北、関東、中部、関西、四国、九州などの各地で大規模な青年部大会を開催。青年の修練道場「弥勒山」が建設中であったことも重なり地方大会は弥勒山竣成に向けての決起の場になりました。
弥勒山竣成。全国各地の青年が弥勒山へ
青年部創立10周年に当たる昭和39年に弥勒山が埈成。
埈成後は、全国各地から青年が弥勒山修行に参加。
自分を変え、人や地域のために尽くす決意を固めました。
「インナートリップ 人間の心にかえろう」を提唱
昭和46年に亡くなった小谷喜美恩師の遺志を受け継ぎ、霊友会は、「インナートリップ 人間の心にかえろう」を提唱。
青年部は、その運動の先頭に立ちました。
新聞・雑誌・ラジオなどのマスメディアを通じて問いかけた青年部のメッセージが若者の心をとらえ、多くの共感を呼びました。
国際花と緑の博覧会に、「いんなあとりっぷ館」を出展
平成2年、大阪の鶴見緑地で開かれた「国際花と緑の博覧会」(花博)に「みんな生きている ありがとういのち」をテーマに「いんなあとりっぷ館」を出展。
220万人の人々が訪れました。
これは青年部にとって大きな出来事でした。
4月から9月までの花博の期間中、述べ9千人の青年部有志が「森のなかま いんなあとりっぷ まいとれ~やグループ」としていんなあとりっぷ館の敷地内や周辺で多くの入場者とふれあい自分の持ち味を生かしたボランティア活動を繰り広げました。
“生まれてきてよかった”その気持ち伝えよう! 「ドットカム運動」
新世紀を迎えると同時に「ドットカム運動」を提唱。
人間関係が希薄になっている時代
「先祖から受け継いだ生命に感謝し、その生命を周りの人のために役立てよう」と呼びかけ
平成14年には全国9会場で「ドットカムフェスタ」を開催。
5万人を超える青年が集いました。
2008年 おもいやり連鎖運動をスタート
そして、今青年たちは、
“人を思う。心の力が動きだす。「おもいやり連鎖運動」”を推進しています。
現在の青年部のスローガンは、「いっしょにやってみよう!」
社会に役立つ青年として、日本そして世界を元気にしようと活動しています。